「生い立ちの歌T」子供の分析

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   生い立ちの歌Tの解釈
                     M.S
   幼年時
 なぜ、降ってくる雪は真綿のようなのか。私はこう考える。きっと幼年時は何もかも新鮮で「幸せ」というしかなかった時だったんだ思う。
少年時
 ここにでてくる「霙」。これは話者の「悲しみ」をあらわしていると思う。霙には水が混じっている。だから話者の涙が混じっていると考える。おそらく両親など大切な人を亡くし、泣いているという感じだろう。
十七−十九
 ここでは、初めて「散る」という言葉がでてきている。きっと家族が死んでしまって、その「死んだ」というのを「散った」にたとえている。つまり、比喩を使っているのだと思う。
二十−二十二
 ここで話者は不治の病にかかったと考える。しかし、まだその病はそれほど進んでいなくて、まだそこまで苦しんでいなかったものの、不治の病を知り、ものすごくおちこんでいる様子を「雹」であらわしたのだと思う。
二十三
 そして、その病が原因で発作が始まり「ひどい吹雪」としかいえないほどつらかったけど、なんとか吹雪(病)の中でがんばっている様子だと思う。
二十四
 ここで話者は死んでしまう。死んで楽になった様子を「いとしめやかになりました・・・・・・」でわらわしているのだと思う。
 
 
生い立ちの歌T     
Y.N
 この詩を私なりに分析、解釈してみる。
 まずは、この詩を起承転結にわけてみる。私はこの詩の転は、幼年時だと考える。そして承は、少年時である。ここまでは問題は特にない。その問題が転、結である。私は、転は二十四だと考えた。でも、そうすると結はどこなのか。ここでほとんどの人がひっかかるだろう。確かにここまでの流れでは、結が「・・・・・・」のところとは考えにくい。
 転が二十四の時という理由は、二十三までは雪がひどくなっているが、二十四ではいとしめやか=大変静かになっている。つまり、いきなり変わっているのだ。そう考えれば、結をさがすのは苦でもない。
 次に、この詩の「雪」について。この雪とは何のことだろうか。私は話者の「つらいこと」や「悲しいこと」だと考える。
 幼年時は悲しいことなどよくわからないので「真綿」で少年時が少しわかるようになって、「霙」で、同じ要領で雪がひどくなっていくと考えた。
 では二十四で「いとしめやか」になるのはなぜか。考えは二つある。一つは「幸せになった」ということ。もう一つは「話者が死んだ」である。私の考えは後者だ。なぜなら、今まで悲しい感じだったので、最後の悲しみ・・・・・・という感じだからだ。
 
 
生い立ちの歌について
M.I
 生い立ちの歌Tについて考える。
「真綿、霙、霰、雹」
 この詩の中にでてきている。これは「話者の人生」を比喩していると考える。最初=幼年時の時は真綿。つまり真綿=かるい=このころはつらいことなどなかった、と考えることができる。このころは幸せだったのである。
 次に少年時。この時降っているのは霙。真綿よりも少しひどくなっている。ひどくなったということは、話者の人生もひどくなったと考える。幼年時の時はほぼ全て他の人にやってもらっていたが、少年時になり、自分のことは自分でやらなくてはならなくなり、ひどくなった。楽(真綿)から苦(霙)へと変わったのである。
 「十七−十九」は歳である。この時もやはり少年時の時のように霙から霰へとひどくなっている。また一つ苦労することが増えたということだろう。
 そして「二十−二十二」。ここで初めて「思われた」という言葉が使われている。最初私はこう考えた。
「雹が降ったと思ったがちがっていた」
 しかし、その後新しい考えがでてきた。
「二十才〜二十二才の時、これは雹が降ってきたのではないかと思うほどひどい何かが起 きた。」 
 私の今の考えは後者である。
 そして、二十三才になり、ついに吹雪となる。「二十三」の時は「ひどい」が使われている。つまり、「ひどい」を使うほどすごいこと(悪いこと)が起きてしまった、ということである。
 最後の二十四。この時、初めて天気がひどくならず、よくなっている。つまり何かいいことがおきたのである。
 この「生い立ちの歌T」ではずっと(二十三まで)雪が降っている。学級での意見で、
「雪が降っているから冬だと考えます。」
というものがでた。しかし、私はこう考える。
「春、夏、秋、冬と季節が変わっていくが、私(話者)の心の中ではずっと冬。雪が降り 続いている。そのくらいつらい人生だ。」
 話者はつらい人生を送ってきた人だと考えた。「二十−二十二」の時に話者の身内の人に何かがあった(または亡くなった)と考える。そのため、その時のつらさを「雹」で表したのだろう。二十〜二十二の時のつらさが二十三へと続き、どんどんひどkぅなったのだろう。
 しかし二十四才の時、話者の身によいことが起こった。私は結婚したと考える。おそらく話者は結婚後、子供も数人でき幸せな家庭を持ったのだろう。そんあ幸せにめぐまれ、今まで降っていた雪はだんだんしずかになっていったのだと考えた。
 そして最後の「・・・・・・」。この時、雪はやんだのではないか。雪がやんで、今までずっと冬だった話者の心は春になり、「人生つらいだけではない」と幸せを感じている。二十四はそんなところではないか。
 最後に主題について考える。「生い立ちの歌T」の主題は、
「人生つらいことがたくさんあるが、必ずよいこと、幸せがある。」
であると考える。つまり、「人生苦あれば楽あり」なのである。ただし、この詩の話者は幸せをつかむまでに苦しいことを何度も味わっている。
 こんな主題も考えられる。
「人生とは幸せをつかむためには、苦しいことを味わわなければならないものである。」 私の考えは、前者である。その方がポジティブな気がするからである。

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