ふるさとの木の葉の駅
                              平成13年3月8日
                              田 代 勝 巳
 
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指示1 自分の考えを板書して、説明してごらんなさい。
次の3通りの考えが出された。
(1) 3人
   C  A    B
     駅     列車
 Aは駅にところで思い出している、Bは駅に近づいている、Cは駅を過ぎたところ

(2) 13人
  C     B   A
     駅     列車   
 Aは駅にだんだん近づいているとき、Bは駅のすぐ近く、Cは駅を過ぎたところ

(3) 12人
 C    B   A
     駅     列車  
 Aは駅の近く、Bは駅に入ってきたとき、Cは駅を過ぎたところ
指示2 討論します。
討論では次のような流れとなった。
・(3)だと考える。(2)だとAが遠すぎる。
・(3)に反対。「迫ってきた」というのにBの時に駅にいてはおかしい。
・カンナの花が駅の反対側にさいているかも知れない。
・迫ってきたというのは、近づいてくるということだから(3)のBではおかしい。
・(2)のAでは「この」という言い方をしない。「この」というには、遠すぎる。
・その場にいないで、離れていても「この」と言うときがある。
・(1)に賛成、「この」というのは自分の近くにあるものを指すと辞典にある。だからAは駅の所にあると考える。
・駅にいなくても「この」というのではないか。
・例えば列車の放送で「次は何々駅・・・」と行ったときに「この」といったのではないか。
・この列車は駅に止まっていないのだから、放送するはずはない。
・「この」なんだからやはり(1)だ。

人数を聞くと(1)21人 (2)4人  (3)2人 となった。
指示3 ノートに評論文を書きなさい。

ここまででおよそ30分、のこりの時間と第3時をつかって、評論文を書いた。

子供の書いた評論文を示す。

 今日は「ふるさとの木の葉の駅」を学習した。その中で列車はどこを走っているのか学習した。ぼくは(1)と考える。なぜか。○○君の言ったようにAでは列車は駅の前にいると考える。(2)(3)に反対だ。なぜか。(2)(3)だとAでは「あれ」「それ」になるからだ。ぼくは、この詩の書きかたは間違っていると考える。○○君が言ったようにBACになるとこうなる。
 ふるさとの木の葉の駅
           坂村真民
駅には赤いカンナの花が咲き
車窓にそれが近々と迫ってきた

この駅で
母がいつも待っていてくれた

母のいないさびしい駅を
わたしは 息をのんで過ぎていった

こういう詩になるはずだ。だから坂村真民さんのかいた詩の書き方はおかしい。

 母はどうしているか。ぼくは母は亡くなったと考える。わけはわたしが駅に来るたびに母が待っていてくれたと書いてある、でも母は来ていないから母は亡くなったと考える。
 列車は駅に止まったか、止まらないかも学習した。ぼくは止まっていないと考える。わけは「わたしは 息をのんで過ぎていった」と書いてあるからだ。
 「この駅で母がいつも待っていてくれた」と書いてあるから、ぼくはこの話者は大人だと考える。なぜか。「いつも」というのは自分が学校へ行っているときに母は待っていてくれたのかもしれない。そして、この人が大人になってから駅に来なくなったのかもしれない。そして、この人は母が亡くなったのを聞いていないのかもしれない。

 母はどうしたのかを考えた。1なくなった27人 2どこかにいる 1人 私は1と考える。「母のいない」と書いてある。だから1だと考える。2に反論する。母がいるなら息をのむ必要がないと考える。
 次はどの位置でABCのことを考えたかだ。3つでた。私は(3)と考えた。理由がある。Aは母が待っていると思う位置、Cには過ぎていったがあるからだ。しかし、よく見ると違った。(3)の位置はカンナの花をすぎていた。Bの文は「駅には赤いカンナの花が咲き車窓にそれが迫ってきた」「迫ってきた」と書いてあるのに(3)のBの位置はカンナの花をこしていた。私は(1)にかわった。理由がある。(1)は迫ってきたの所はちゃんとカンナの花の前だし、母がこの駅で待っていてくれたなと思う位置だし、過ぎていったは駅をこしているからだ。        

 今日「ふるさとの木の葉の駅」という詩を学習した。最初にこの詩を読んでわかったこと、考えたこと、思ったことをノートに書いた。学級では37個のの考えが出された。
 次に母は今どうしているかを考えた。○亡くなった。26人  ○駅に来ていないだけ 1人 私は「亡くなった」と考える。理由は2つある。
1 すごく「さびしい」感じがするから。亡くなっていなかったら、もっと明るい詩になると考える。
2 「母がいない」と書いてあるから
以上のことから私は「亡くなった」と考える。
 次に「いつも」とはどういう意味か考えた。学級では2つの意見が出された。 ○毎日毎日・・・21人  ○駅に来るたび・・・6人 私は毎日毎日と考えた。理由は2つある。
1 「いつも」とは毎日のことだと思ったから。
2 「駅に来るたび」だと「いつも」じゃないから。
以上のことから私は毎日毎日だと考える。
 次に列車は止まったか、止まらなかったかを考えた。 ○止まった・・・1人  ○止まらない・・・27人  私は止まらないと考える。理由は2つある。
1 止まった場合おりなきゃならない。
2 「迫ってきた」なんだから止まらない。
以上のことから私は止まらないと考える。
 次にこの詩の中で大切な言葉を2つ選んだ。「この」と「それ」、「母」と「カンナ」、「母」と「駅」、「駅」と「カンナ」、「さびしい」と「母」、「駅」と「それ」、「母のいない」と「カンナ」、「いつも」と「母」、「駅」と「わたし」。私は「母」と「駅」と考える。理由は2つある。
1 「母」がいないとこの詩はなっていない。
2 「駅」もないとこの詩はなっていない。
以上のことから、私は「母」と「駅」と考える。
 最後に次のABCは、列車の視点のどこで思ったかを考えた。 
 A
この駅で
母がいつも待っていてくれた
 B
駅には赤いカンナの花が咲き
車窓にそれが近々と迫ってきた
 C
母のいないさびしい駅を
わたしは 息をのんで過ぎていった

学級では3つの考えが出された。(1)(2)(3)図略
私は(1)と考える。でも途中すごくまよってしまった。途中で(2)にしたけど、やっぱり(1)に考えなおした。なぜか。理由は3つある。
1 そのときのことだから、順番では意味がないと考える。
2 (2)だったらAは「あの駅」になると考える。
3 (3)でもAは「あの駅」になる。
以上のことから、私は(1)だと考える。
私はこの詩もおくがふかいと思う。

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