詩「海雀」(北原白秋)
                                                                       TOSS SANJO 田代勝巳
 
1 先行実践
(1)浜上 薫氏

発問1 海雀は何羽いますか。
発問2 海雀の飛んでいる場所をノートに書きなさい。
   (意見の整理)
指示1 おかしいと思う派を一つ挙げなさい。
発問3 この「海雀」という詩には、いくつの工夫がなされていますか。3分間で見つけられるだけ見つけなさい。
(修正発問として)
発問2 話者は近くで見ていますか。遠くで見ていますか。
発問3 話者はどこから海雀を見ていますか。話者が海雀を見ている位置をノートに目玉で書きなさい。
 
(『「分析批評」の授業づくり2 5年の実践』(浜上 薫・明治図書、1990 P.53〜60)
(2)内村博幸氏

発問1 海雀は遠くにいますか。近くにいますか。遠くだと思う子は「遠く」、近くだと思う子は「近く」とノートに書きになさい。
発問2 この詩の海雀は、飛んでいるでしょうか。それとも浮いているでしょうか。飛んでいると思う人はノートにA、浮いていると思う人は、ノートにBと書きなさい。
 
「イメージを限定して、思考を活性化する−詩「海雀」(北原白秋)は、位置と状態を問え」(『詩を「分析批評」で教える』(石黒修編・明治図書,2001,P9〜17)
(3)山川 亨氏(TOSSLAND No. )

発問1 詩の様子と話者の見ている場所を図に書きなさい。
説明1 海雀が飛んでいるか、浮かんでいるか、はっきりしませんね。
指示1 では「かげ」を辞書で引いてみなさい。わかるかもしれません。
説明2 「かげ」とは、そのもの本体を意味するときと、分身を意味するときがあります。校庭で「かげふみ」をするときの「かげ」は分身の意味ですね。
発問2 この「かげうする」の「かげ」は本体を意味するのか。分身を意味するのか。
説明3 この場合の「かげ」とは、本体のことです。海雀=かげ です。
  (後半 略)
 
(4)北村善重氏(TOSSLAND No. )

指示1 この詩を読んで気がついたことを書きなさい。
発問1 話者はどこにいますか。図で示しなさい。図に目玉を入れます。
指示2 一番おかしいと思うのはどれですか。
指示3 海雀とはどんな生き物なのですか。
発問2 海雀は、とんでいますか。浮いていますか
発問3 「なみひきゆけば」とは、次の図のAとBのどちらですか。
発問4 かげとは何ですか。
 
 
2 考察
(1)山川氏の発問
 山川氏は、

発問1 詩の様子と話者の見ている場所を図に書きなさい。
 
をすることによって、浜上氏の発問1、および修正発問2,3

発問1 海雀は何羽いますか。
発問2 話者は近くで見ていますか。遠くで見ていますか。
発問3 話者はどこから海雀を見ていますか。話者が海雀を見ている位置をノートに目玉で書きなさい。
 
はいらなくなると述べている。その理由として、次の3点をあげている。

@図をかかせることで海雀の数が検討できる。
A図をかかせることで話者と海雀の距離も検討できる。
B浜上氏の発問3では、話者の位置だけを問うもので、子供は「陸か海上か空か」と
考えてしまう。そして、陸か海上かで鍵になる言葉を提出できずに困ってしまう。子
どもたちは「波ゆりくれば・・・・かげうする」が解釈できないからだ。そうならば、は
じめから図をかかせたほうが子供のわかり具合を調べることもできる。
 
 山川氏は

 子どもたちは「波ゆりくれば・・・・かげうする」が解釈できない
 
と述べている。そこで、この解釈がどの程度できるのかを含めていきなり子供に図をかかせるわけである。山川氏が述べているように、いきなり図をかかせることは、少なくとも次の3点が問題となる。
 @話者の位置
 A海雀の位置、数、並び方
 B「波ゆりくえば・・・・かげうする」の解釈
 子供たちのかく図は実にさまざまになるであろう。教師にそれを整理し、論点をしぼっていく力量があれば、山川氏の発問は有効であろう。
 しかし「海雀」は5年生の4月下旬の教材である。この段階で、いきなり図をかかえる発問はかなり難しいであろう。
 図を書かせる授業として、向山氏の「春」(安西冬衛)(1985年3年生での実践)の授業がある。その発問は、次のとおりである。

この詩の絵を書いて、話者の位置を目玉で書きなさい。
 
                        (『「分析批評」で授業を変える』)
 この発問でさえ、図をかかせると多様な図ができる。それは「海峡」のイメージが多様であり、視点を上下左右にもってくる子もいれば、手前(つまり自分が見ている方向)にもってくる子もいるからである。向山氏の力量があれば、いきなり図をかかせても整理することができる。しかし、やみくもに図だけかかせても混乱を招くおそれがある。 「春」というわずか一行の詩でさえ、図をかかせるのは難しいのである。「海雀」では、なおさらである。
 さらに向山氏の図をかかせる発問はいきなりしているものではない。図を書かせる前に次の二つのことを行っている。
 @多様な方法で多く読ませる。(列指名、読みたい子に読ませる、全員起立して五回、さらに読みたい子に読ませる)
 A考えたことを箇条書きにする。それを発表する。
 つまり、内部情報の蓄積を行っているのである。
 もしも山川氏のように図をかかせる発問をするのであれば、その前の段階で内部情報の蓄積が必要であろう。
(2)浜上氏の発問
 浜上氏の発問1、修正発問2は「銀の点点」を検討するためには必要な発問である。子どもにとって、「銀の点点」の解釈がわかれるからである。つまり、海雀のならんでいるようすを比喩表現しているのか、海雀の体の模様なのかがわかれるはずである。よって、浜上氏の発問1、修正発問2は重要である。
 しかし、浜上氏の修正発問3は、山川氏の指摘どおり、詩の表現からは特定できない発問である。このことを問う意味がない。
(3)内村氏の発問
 内村氏の発問1は、浜上氏の修正発問2の視点をかえた発問である。「話者」を学習していなくてもできる発問である。読み手から見て、考えさせているからである。わかりやすい発問である。
 しかし「話者」概念は、メタ認知に必要な概念である。作品に癒着しない読みを成立させるためには欠かせないものである。「話者」を学習しているのであれば、浜上氏の修正発問2のように問うべきである。
 内村氏の発問2は、重要な発問である。「波ゆりくれば・・・・かげうする」の解釈にかかわるからである。この詩を授業する上で、もっとも大切な発問といえよう。
(4)北村氏の発問
 北村氏は最初に気づいたことを書かせている。いわゆる内部情報の蓄積である。この指示によって子どもがどれだけ詩を理解しているかがわかる。子どもにとっても安心して考えることのできる指示である。しかし、ここは基本どおり、

わかったこと、気がついたこと、思ったこと
 
と言うべきである。
 また、見落とされがちであるが、この指示を出す前の「読み」が重要である。特に、「海雀」のような文語体の文章は、変化のある繰り返しですらすら読めるようにすることが必要である。さらに、一人ずつ読ませてみて、子どもの力を確認することが重要である。
 以上のことをふまえ、次のように発問を構成した。
 
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