小学校/道徳/総合

成田真由美さんの生き方を考える
                                                             
  三条市立月岡小学校 田代勝巳

シドニーパラリンピック金メダリストの成田真由美さんの生き方を考えます。新潟の佐々木久美子氏、高野宏子氏の修正追試です。

説明1 これはある人が書いた日記の言葉です。 
  日記を貼る。読む。
 
 くやしい
 悲しい
 痛い
 つらい
 苦しい      
発問1  どんな人が書いたと思いますか。 
  列指名できいていく。
説明2 この日記を書いたのは成田真由美(板書)さんといいます。真由美さんはとても元気で活発な小学生でした。スポーツが得意で、かけっこは1位、リレーの選手にも選ばれていました。野球も得意で男の子にまじって、よくホームランもうったそうです。ただ一つ水泳だけは苦手で泳げなかったそうです。でも水泳以外は何でも得意でした。 しかし中学生になって、突然片方の足が痛み出します。病院へ行っても痛みはとれず、だんだんひどくなっていきます。あまりの痛さで、夜も眠れない日が続きました。普通の生活をすることがでなくなり、とうとう車椅子の生活になってしまいました。
 成田さんは脊髄炎という病気だったのです。手術をしてみたのですが痛みはとれません。それどころか、両足が痛み出したのです。高熱がでたり、足の痛みがひどかったりで入院生活を送るようになります。これはそのときに書いた日記なのです。 
 入院中の成田さんの写真をはる
説明3 長い入院生活が続きました。そのときのことを成田さんが書いた本がありますので、紹介します。『あしたにトライ』(成田真由美・アリス館)P40〜43を読む。 
発問2 成田さんのことをどう思いますか。書いてごらん。 
 列指名できいていく。
説明4 その後、成田さんには次のようなことが起こります。(『あしたにトライ』P45〜48)を読む。痛みもしびれも感じなくなりました。ついに成田さんの足は完全に動かなくなってしまったのです。 
 
発問3  完全に足が動かなくなってから10年たちました。成田さんは、どうしたと思いますか。 
 自由に発表させる。 
説明4 (泳いでいる写真を貼る。)成田さんは友だちさそわれて水泳を始めました。そして水泳の選手として活躍するようになりました。下半身が動かなくてもできるスポーツ「水泳」に挑戦したのです。こんなに水しぶきをあげて泳いでいますが、以前はまったく泳げなかったそうです。
水泳を始めて 一ヶ月後、東北身体障害者選手権(体が不自由な方たちのスポーツの大会)に出場しました。その結果は・・・・みごと優勝したのです。「人間は残された能力をせいいっぱつかえば何だって新しいことに挑戦できるんだ」と大きな希望をもつことができるようになったのです。 
 
説明5 ところがその大会の帰り道のことです。高速道路で成田さんは交通事故にあってしまいました。その時に首の頸椎(場所を教える。)を痛めてしまったのです。この事故のために成田さんはさらにふたつの障害を持つことになってしまいました。
ひとつは左手がしびれ、にぎったまま開かなくなってしまったことです。もうひとつは体温調節ができなくなりました。ふつう人の体温は約36度に保たれています。スポーツをして体があつくなると汗をかいて、体の熱を下げてくれます。しかし成田さんの体はそのような調節ができなくなったのです。これはとても危険なことです。お医者からは競技スポーツをしてはいけないと言われました。 
発問4 この事故にあった後、成田さんはどうしたと思いますか。 
  きいていく。
説明6 さすがの成田さんも大きなショックを受けて、これからどうやって生きていけばいいのか悩んだそうです。そんな時に水泳の仲間が励まし続けてくれました。みんな障害を持っているのに病院に何度も励ましに来てくれました。
 そしてリハビリをつづけ事故から10ヶ月、成田さんはふたたび水泳の練習をはじめました。そのとき大きな目標がありました。体が不自由な方たちのオリンピック、パラリンピックに出場することです。 
説明7 パラリンピックは世界の代表選手と戦うのです。日本国内の大会で優勝できても、そんなレベルでは通用しません。成田さんは本格的な練習をするためにスイミングスクールに入ることにしました。ところが・・・・・電話で申し込んでも、車椅子にのっていると聞くと断られました。いろいろな所へお願いするのですが、6カ所すべてに断られました。もうあきらめようと思っていた時に病院で同じ部屋だった人があるスイミングスクールを紹介してくれます。成田さんはそのスイミングスクールに行き、福元寿夫さんというコーチに会うのです。福元コーチは成田さんを迎え入れてくれたのです。しかも障害者だからといって甘やかしませんでした。それどころかとても厳しい練習を始めたです。成田さんの練習の様子をビデオで見ましょう。 
  ビデオ「NHK競技ハイライト」より 2分46秒
説明8 足にバケツをつけて泳いでいました。こうするととても進みにくくなります。こうやって腕だけで泳ぐ力をつけていったのです。泳ぎがうまくなるたびにバケツを大きいものに変えていきました。最後には体重83キロ(説明)のコーチがバケツにしがみつき、それを引っ張って泳ぐ練習をしたそうです。
成田さんはつらい練習を乗り越えて、日本代表に選ばれました。そいてとうとうパランリンピックに出場することができたのです。 
説明9 今年の夏シドニーでパラリンピックがひらかれました。成田さんの成績は、・・・・・金メダル6個、銀メダル1個を獲得しました。しかもそのうちの4種目は世界新記録でした。 
 金メダルをとった写真
説明10 成田さんは自分の病気について次のように書いています。 
 資料文を配る。
 読み聞かせる
指示1 授業の感想を書きなさい。 
 

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